渋沢栄一 志水彩乃
第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京証券取引所など多種多様の企業を設立。
日本資本主義の父
埼玉県深谷市出身
1840~1931年の大正時代の実業家。
武蔵国豊里村(現在の埼玉県深谷市)の大地主の家に生まれ、一時幕府にも仕えて、幕府の使節とともにフランスにわたって見聞を広め、先進国の産業・経済・政治制度に深い関心をいだいて帰国しました。
明治新政府では、大蔵省の役人として租税・貨幣・鉄道・銀行などの新制度の準備につとめました。
1873年に役人をやめて、実業家に入り、日本最初の銀行である第一国立銀行、王子製紙、大阪紡績などをおこしました。
日本史上を代表する経済人として、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として日本銀行券(紙幣)の肖像の候補として挙げられたものの、実現には至りませんでした。
日本では渋沢の肖像を入れた紙幣は発行されなかったが、大韓帝国で発行された初期の1円、5円、10円券に当時の経営者だった渋沢が描かれました。
また渋沢は、晩年を川越市で過ごしました。
現在は『さいたま郷土かるた』の代表に選出されています。
埼玉県では功績にちなみ、健全な企業活動と社会貢献に贈られる「渋沢栄一賞」がある。
(自らも受賞)
居合の達人でありました。
エピソードとして、右手に算盤、左手に論語と道徳家としても名声を博していたころ、彼を尋ねて、ある男が渋沢の家にやってきました。 その男が玄関に立ち、「ごめんください、渋沢先生はいらっしゃいますか」と言ってきた。衝立の陰から返ってきた返事は、「渋沢ともあろう者が、このような所にいるはずがない。帰れ!」
そして、えらい見幕の渋沢がそこに立っていたといいます。
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